2018/05/01 16:02
正午過ぎ。
大鍋いっぱいに水を張り、大げさな量の塩を入れ、湯を沸かし始める。
卵とソーセージ、溶けるスライスチーズを冷蔵庫から取り出す。
冷ややかな卵の殻をひと撫でしてから、テーブルの角に適度な力加減で打ち付る。
ひび割れた殻を2つに開き、中身をボウルの中に落とす。
スライスチーズを細かく割いて、ボウルの中の卵と混ぜ合わせておく。
胡椒も合わせておく(中世では胡椒に絶大な価値があり、そんな背景に想いを馳せると、つい余分に振りかけてしまう)。
小鍋にオリーブオイルを適量流し込み、ソーセージとチューブのニンニクをそこに加え、加熱していく。
みるみるソーセージの表皮に焼き目がついていき、熱されたニンニクがいかがわしい臭気を放つ。
しばらくの後、大鍋が煮えくりかえり、収納庫から取り出したパスタを目分量で鍋に投入する。
パスタが下半身から崩れ落ちる人のように鍋底へくたびれ、棒状のパスタが紐状に変化していく。
小鍋の中でソーセージの表皮が破れ、高温のオイルに肉汁が爆ぜた頃合で火を止めた。
これは神が作り上げた食物ではないだろうかと思い至る。
大鍋の中で踊るパスタの狂宴もたけなわで、湯から掬い出し、溶き卵を封するようにボウルの中にパスタを運び込む。
その上から小鍋のソーセージとオイルもボウルに移す。
その状態で取り皿をボウルにかぶせて蓋をする。
そうすることでボウルの中でパスタとオイルの熱で溶き卵を軽く蒸すことができる。
それからボウルの中でパスタと卵とチーズ、ソーセージを混ぜ合わせ、皿に盛りつけると擬似的なカルボナーラの完成である。
【実食】
ふむ。
これはどうだろう。
一言で言うならば「味のパースペクティブが不在」である。
口の中で味が横にこそ広がれど、奥行きが感じられない。
おそらく原因はスライスチーズがパルメザンチーズの役割を担えなかったのであろう。
パルメザンチーズはその細かさが卵とうまく混じり合い、味に奥行きをつけてくれるが、
スライスチーズは溶けこそすれど、融和するには至らない。
そしてもう1つ。
ベーコンやパンチェッタではなくソーセージを使ったことでオイルへ染み出す肉の旨みや塩分が乏しかったのではあるまいか。
表皮に包まれて噛んだ瞬間に味が口の中で弾けるその神の与えし歓喜とも言える機能が、この擬似カルボナーラでは足枷になったようである。
ジョットの宗教画のように厳密なパースペクティブ不在ながらも味わい深い絵画を、その味付けに完食を目指した今日の昼食の顛末である。