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  • 2018/01/04 00:48

    年の瀬に蝦夷鹿のローストを食べる機会があった。


    サーブされた鹿肉を眺める。

    塩と幾許かの香辛料が塗布された骨付の肉切れ。

    その表面は適度に焼かれ、口の中の唾液を誘発する蠱惑的な脂身の色、

    中心部位はまだ命の名残かのように赤く色付いていた。

    ________________


    蝦夷地の爽やかな緑夏、実りの赤秋。

    鹿はその大地を駆けた。

    そして、過酷な銀冬を迎え、鹿は静かに息を潜める。

    獣皮と蓄えた脂肪層で越冬し、春を待つ。

    しかし、突如として静謐な森に響く銃声。

    崩れ落ちる肉体の気配は雪に包まれる。

    血が雪に流れ、紅白の対比を形成していく。

    ________________


    そのような残像をぼくに投げかける蝦夷鹿の肉切れ。

    あるいは店主もまたぼくに問いかけるー



    ところで、ぼくは数年前に一時期、奈良に住んでいたことがある。

    奈良と言えば、やはり鹿である。

    晩夏から秋の始まりの頃、立派な角を生やした雄鹿をよく見かけた。

    奈良の鹿の角は細く鋭利で、つまり槍的な性質を有する。


    *ニホンジカ(奈良の鹿)の骨と花のコラージュ


    ある秋のこと、鹿を追い払うこと躍起になっている男がいた。

    その男の元へ一頭の雄鹿が歩みをみせた。

    男は同様にその雄鹿を邪険に扱ったが、雄鹿は怯むことなく男に近づき、頭を振り抜いた。

    幸い、雄鹿の角が切り落とされていたので事なきを得たが、男の腹部は見えない角に貫かれていたのである。

    そして、男は怯えて去って行った。


    奈良の鹿にも生き残るための闘争本能があることを知る。

    今でも初夏になると見えない角に貫かれたぼくの腹部は疼くのである。

    この疼きは怖れとも言える。



    しかし、ヘラジカに対してはどうだろう。

    映画『ファイトクラブ』の原作小説の中に

    「ロックフェラーセンターの廃墟を囲む湿気の多い谷間の森でヘラジカを追う自分の姿を想像してみるといい」という刺激的なフレーズが出てくる。


    ぼくはヘラジカのことを想像した。

    この鹿の角は名の通りヘラのように平べったい形なのだろう。

    だから、槍のような突起的な殺傷性ではなく、

    殴打に優れた棍棒的な役割なのではないかと推察していた。

    ヘラジカの躯体は奈良の鹿よりも少し大きいくらいではなかろうか。


    もし、仮にロックフェラーセンターの廃墟を囲む森林でヘラジカを追う場合、

    注意点としては、鹿特有の機敏な動き、跳躍から繰り出される強烈な角の殴打を二の腕を中心に身体の側面で受け(事前に受け身を想定しておくことで吹き飛ばされる衝撃を緩和する)、手製の石斧でヘラジカの首筋あたりをしたたかに殴打する。

    無論、相手は野生の獣。

    非力なぼくが一撃で倒すことは難しい。

    それにこちらとしても強烈な角の攻撃を何度も受けることは避けたい。

    なので、角の殴打をうまくいなしながら、こちらも石斧で殴打していく。

    そうして何度かの攻防の末、ぼくは横たわるヘラジカに感謝と祈りを捧げ、とどめをさす。


    そんな風にぼくは精神的にヘラジカを攻略したのであった。


    ――――――――――


    それを踏まえて、以下のようなことを自慢気に友人に語ったのである。

    「あんな、言うとくけど、奈良の鹿の殺傷能力なめたらあかんで」

    「でな、ヘラジカって知ってる?そっちの鹿の角は棍棒的な感じやから、一撃くらってもまだ平気やねん、でも、奈良の鹿の角は刺さるで、なめたらあかんで、ほんまやで」



    そんなある日、京都駅側のイオンモールに足を運んだ。

    通り抜けの為に入ったスポーツ用品店。

    そこにヘラジカがいた。


    「でけぇ…」

    想像を遥かに超える巨体。

    その巨体から生える鋭利で異形の角。

    もはや、獣ではなく悪魔であった。


    あまりの恐怖に思わず目を閉じる。

    まぶたの裏側にロックフェラーセンターの森林でヘラジカと対面するぼくがいた。

    3メーターを超える巨体が吼え、ぼくは立ちすくむ。

    振りかざされた異形の角はもはや眼前。

    その時、ぼくはゴレイヌを連想するだろう。

    避、否、死。



    異形の角に貫かれ、バラバラになったぼくが玉のように散っていく情景を思い浮かべた。

    「貫き留めぬ 玉ぞ散りける」

    そんなことを早口につぶやきながらぼくはその場から退散した。



    そして、今、鹿肉を頰張る僕に店主が問いかける。

    「鹿肉はいかがです?」

    「えぇ、この鹿には蝦夷地というものが集約されていて、

    その肉切れを通して、咀嚼の度に大地や風、水、木々、草、あるいは銃声と鉛玉、そんな気配がぼくの口内に広がっていくようです」

    「あ、はは…」

    店主の愛想笑い、苦笑いが空調の風に乗って店内に溶けていった。

    どうやらこの文章もここが終いのようである。


    おわり



    *ヘラジカの参考動画

    https://youtu.be/pN5PmOS34hI