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  • 2017/02/01 23:30

    不意に思い出す女がいる。

    ―――――――――――――


    ある晩、奈良で晩飯の都合をつけようと馴染みのカレー屋に足を運んだ。

    しかし、そのカレー屋は閉まっていた。

    おそらく定休日だったのだろう。

    仕方なくもう1軒のカレー屋に行くことにした。


    その店はカウンター8席だけのカレー屋で、先客の女性2人組がカウンターの真ん中あたりに座っていた。

    僕が左端の席に腰を下ろそうとしたその瞬間「おつかれさまぁ~」と素っ頓狂な声がしたので、その方を見やる。

    なにやらその声は僕に向けられていた。

    先客のうちのひとり。

    しかし、まるで見知らぬ女。

    戸惑いながらも僕は女に会釈をして腰を下ろした。


    見知らぬ女ではあるが、ひょっとして取引先界隈の人間で、向こうはこちらを知っているのではないかと推量していると、店主が注文を尋ねてきた。

    僕は考える間もなくとりあえずとオリジナルカレーを頼んだ。

    その女を横目でみると、連れ合いと楽しそうに話しをしていた。

    先ほどの推量もただの杞憂に終わり、ぼくは携帯電話でニュース速報をチェックしはじめた。


    そして、カレーはまだかと店主を見やったその時である。

    「なあ、にいちゃん!あんたくるりに似てんなぁ~」とまた素っ頓狂な声がした。

    僕は驚愕をもって振り向いた。

    女がこちらを見ていた。

    「あんた、くるりって知ってるかぁ~?」

    僕は驚きのあまり、なぜか「僕もくるりと同じ京都出身ですよ」と口走る。

    それを聞いた女の顔に歓喜が漲り、ことさら前歯を剥き出して笑った。


    にわかに言葉が降りてくる。

    げっ歯類*の女。


    ビーバーに比肩し、今にも硬い種子をも削り取りそうな前歯を僕に見せつけながら、げっ歯類の女は「京都~‼︎にいちゃん、くるりも立命館出身~‼︎にいちゃんくるりに似てるもんなぁ~」やたらと僕とくるりを関連づけて喚きはじめた。


    ――――――――――――――


    僕はあまりくるりに詳しくないが、フロントマンの岸田がメガネをかけていることは知っている。

    そして僕はその岸田がアジアンカンフージェネレーションのフロントマンの後藤に似ているとなんとなく思っていた。


    当時の僕と後藤と岸田の顔写真を並列させてみることにした。 



    そう、これは似ているとか似ていないの問題ではない。

    顔面オプションの近似性を顔と認識していただけの話である。僕もげっ歯類の女も。

    メガネとヒゲと髪型は顔面のセットメニューみたいなものである。

    レイヤー(階層)的にセットメニューが顔の上に乗るのだから否応なしに似通ってしまうのである。

    いっその事、僕にヒゲを生やしてみたらどうなるだろう。 



    このような風貌の人はそこかしこにいるように思われる。

    これならぱっと見で類型的に判断されるのも仕方ないかもしれない(もっとも僕がヒゲを生やしているという仮定ではあるが)。

    似通っていたとしても、それでもまあそれぞれの表情からそれぞれの人生観が滲んでいるように思われる。


    ついでに後藤と岸田のヒゲを除去してみる。

     

    これでようやく顔のパーツ自体の違いに着目しやすくなる。

    僕も後藤も岸田もヒゲがなければ全く似ていない。

    どうやら我々はただメガネがトレードマークの3人なのであった。

    周知のほどを願い申し上げる。


    ――――――――――――――――――


    僕のカレーが届く頃、げっ歯類の女は相変わらずくるりのことを話し続けていた。

    そのタイミングで連れ合いの女が「ねえさん、先帰るわ。飲みすぎたらあかんよ」と言い、会計を済ましてひとりで店を出て行った。

    彼女たちは友達ではなかった。

    こうしてカウンターには僕とげっ歯類の女だけの状況が生まれたのである。

    そしてむごたらしい事実が判明する。

    「なぁにいちゃん、仕事何してんの?」

    このげっ歯類の女は完全に他人であった。

    取引先の人間などという推量は馬鹿げた幻想でしかなかった。


    4席ほど離れていたにもかかわらず、隣にげっ歯類の女がやってきた。

    ちなみにカレーにはまだ手をつけていない。

    なぜなら、げっ歯類の女は全て質問でもって僕に話しかけてくるからで、僕が答えるまで質問を繰り返し、答えたら答えたで矢継ぎ早に次の質問が飛んでくのるであった。

    僕が花の仕事をしていると伝えるとまた前歯を剥き出して笑った。


    げっ歯類の女が笑うたび、その強固な前歯で僕の出来立てのカレーの体力を的確に削っていく。

    「にいちゃん、私もお花習ってるん」

    そう言って黄緑色のラバーケースに覆われたスマートフォンで撮った自作のフラワーアレンジメントを僕に見せつけては「正直に言ってぇ!」と僕に感想を求めてくる。もちろん、前歯剥き出しで。

    僕がそれに対して何かを答えようとするが早いか「にいちゃん、どんな花作ってるん?」と2の段を繰り出してくる。今度は控えめな前歯で。

    僕は自作のブーケの写真を見せるものの「こんなん好きちゃうわぁ」とげっ歯類の女は言い捨てる。


    見かねた店主がげっ歯類の女の相手をしてくれた時には僕のカレーはいくらかぬるめかしい表情をしていた。

    遅すぎるレフリーストップである。

    ぬるく横たわったカレーを口に運び、なんとなく店主を恨みながら咀嚼し嚥下した。


    初老。

    そんな味がした。


    今やずっと横にいるげっ歯類の女が店主の隙を見て(レフリーが後ろ向いてる間に仕込みのパイプ椅子で殴りつける悪役レスラーのごとく)、また僕にスマートフォンを提示する。

    釈然としない画質の写真。

    妙齢の女性が自宅の居間かどっかで澄まし顔で着物で立って写っている。

    両の指先をおしとやかに腹の辺りに添えて。


    初老味のカレーを食べている僕は何を思えばいいんだろう。

    初老味のカレーを食べている僕は何て言えばいいんだろう。


    その後、げっ歯類の女がトイレに立ったのをみて、僕はカレーを食べ終え、会計をお願いした。

    店主は非常に申し訳なさそうに謝り、そして代金をきっちりと僕に告げる。


    後日改めて、このカレー屋に訪れた時、げっ歯類の女は昼からひとりでハートランドビールを10数本飲み続け1万円以上支払って帰って行ったと店主は告げた。

    ただただとてつもない酔っ払いであった。


    みたび訪れた時、カレー屋は潰れていた。

    もうげっ歯類の女に会うこともありますまい。


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    *齧歯類

    げっしるい

    Rodentia; rodent

    哺乳綱齧歯目に属する動物の総称。

    物をかじるのに適した歯と顎を特徴とし、多くは草食性であるが、雑食性のものもある。

    ビーバーリスハツカネズミレミングトビネズミヤマアラシチンチラなどが含まれる。

    ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

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    おわり