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  • 2016/12/09 00:00

    もう1人のマエダロフのお話


    昨晩更新したブログの重大な補填です。

    edalab.とドストエフスキー(カラオケで自意識をこじらせた男の話)


    追記しようと思ったら文字数を超過していたので、別の記事にしました。


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    実はあのカラオケにはもう1人の僕がいたのである。


    イワグチフスキーという男である。


    彼は真にB’z好きで、はばかることなくB’zファンを公言していた。

    だから、例のカラオケで,イワグチフスキーの選曲は全てB’zであったし、稲葉浩志を模した歌い方であった。

    *あくまで真似をしているだけで声が高いわけではない


    僕ができなかったことをいとも簡単に実行していたのである。

    おそらく自意識とは無縁の猛者であった。

    自分に閉じこもり、カラオケを楽しめない僕は羨ましく思っていた。


    そんな矢先である。


    彼は『ZERO』という都会に住む男の孤独と自意識を描いた楽曲を選んだ。

    B’zの初期の名曲である。


    そこで事件が起こった。


    のっけから稲葉浩志が乗り移ったかのように語尾をしゃくりあげながら歌い、

    「ゼロがいい ゼロになろう もう一回!!ウァーーイ」と2番のサビを歌いきった。

    そしてギターソロが終わった頃である。

    歌詞は表示されていないにも関わらずイワグチが早口で歌い出したのである。

    そうすると何人かの聴衆がどよめき始めた。


    続けて

    「踊ってる踊ってる おかしいね!あはははー!」

    と頭を振りながら笑いだしたのだ。

    おかしいのは完全にイワグチである。


    そして、よく出来たことに

    「どうすりゃいいの変になりそう!」

    と歌い続けるイワグチ。


    もう変になってるよ…と完全に怯えた女性が突如、演奏停止のボタンを押した。

    まさにゼロである。

    もう真っ白!


    そう、この曲の中盤に歌詞が表示されないセリフと笑い声のパートが存在する。

    彼一流のパフォーマンスでそのパートを全力で歌いきり、勢いそのままに笑ってみせたのである。

    自己顕示欲の完全なる事件であった。


    もし、僕があの瞬間に『冷血』をぼそぼそと抑揚もなく歌っていたら同じような結果だったかもしれない。

    このイワグチ事件を目の当たりにし、僕は今でも『冷血』を歌わなかったことを今でも神に感謝している。

    間違いなく、あれはもう1人の僕の姿であった。

    思い出すだけで背筋が凍るのである。


    仮にもし歌っていたとしたら、今でも発作的に思い出して死にたくなること請け合いである。

    でも、おそらくイワグチは生きている。


    本当にイワグチはすごい人だと僕は思う(断じてバカにしている訳ではない。のに、バカにしていると思われてしまうのではないかと内心僕は怯えているし、本当にイワグチはすごいんですよ!ねぇ諸君、これだけは誓って言える!しかし、こう強調すればするほど、反対に取られてしまうし、一体どうやったらイワグチを称賛していることが伝わるのか君が僕に教えてよ!)。


    そして最後になるけれど、

    ドストエフスキーも人は半分の意識で生きていけるのであると言っていたし、

    稲葉も「君の言うようにもっと気楽に生きていけたら肩も凝らないでしょう」と歌っていた。

    この『ZERO』という曲もまた自意識に苛まれた男がゼロがいいと叫ぶ歌なのである。



    おわり