2016/12/07 01:41

「誓って言うが、諸君、あまりに意識しすぎるのは病気である」


衝撃的なフレーズ。

それがドストエフスキーの『地下室の手記』である。

多分、一番笑った小説だと思う。


そして、それを体現するかのように自意識をこじらせたマエダロフのカラオケ奮闘記がここに書かれた。


*文体は新潮文庫の翻訳を意識している


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粉雪にちなんで


もうずいぶんと昔の話になる。

ある年の瀬、忘年会の後のことである。


にわかにカラオケに行こうか、という声が耳に入ってきた。


僕の心が妙に弾んだことは認めよう。

しかし、諸君、誓っていうが、僕は決して自ら参加したいと言ったわけでない。

カラオケというのは諸君のようにポジティブな自己顕示欲を持つ者が楽しむ場所であって、僕のように自分の中にこもりがちな人間が行くべき場所ではないのだ。

だけれども、やはり僕にも自己顕示欲は存在する。

それはもっぱら知的な事柄で一目置かれたいというものである。

白状するとカラオケに参加することで何やら明日が変わるかもしれないという希望が芽生えたのである。


だが、諸君、赤い肉に少し火が入り、表面が桃色になったからといって、それが生焼けの肉であることに変わりはないのだから、のこのことカラオケになんぞ行くことになれば、それこそ食当たりを起こすに決まっているのですよ!

しかし、まさに僕がその生焼けの肉を食わされ、食当たりを引き起こしたのである。


諸君は笑うでしょう〈ははは!それがわかっているなら、しっかり焼けるまで待てばいいじゃないですか!〉と。

どっこい、僕はそそのかされたのである。誰にだって浮ついてそのまま流れに身を任すこともあだろう。

だが、ちょっと待ってほしい!実のところ、僕はそそのかされたつもりになっていただけで完全にシラフであった。

それにこれから起こることは実はもう何となく分かっていたのである。

人間というのは中身の知れた宝箱よりも未知なる木箱を開けたくなるものなのだ。


さて、話を進めよう。

先ずもってオクダーノフという気のいい男が僕を軽妙にカラオケに誘導したのである。


「どうです、マエダロフ、あなたも一緒に行きませんか?」

「どうでしょう…(えぇもちろんちょっと行ってみたい気持ちではあるのですよ)」

「ところで普段は何を歌われるんです?」

「これといって特別なものは…(B’zが好きです)」

「そうですか。僕なんかはR&Bが好きですね。あなたもお好きで?」

「どちらかというと古い洋楽ロックのLed Zeppelinとか最近よく…(B’zが好きです)」

「エッドゼッェpリン?ですか…?…あ…ボンジョビってかっこいいですよね…あ、そうだ、僕、幹事にあなたの参加を伝えてこなくちゃいけないんだった。きますよね、きてくださいね!きっとですよ!」


オクダーノフはバツが悪そうに幹事の方へ駆けて行った。

僕は僕で、どう考えても彼がLed Zeppelinを知らないことを知っていたし、それでもその方が格好がつくと思ったのを早速、後悔していた。


この時点で引き返せばよかったのかもしれないが、僕の中でオクダーノフをはじめ、その他の連中にB’zのマイナーな楽曲を披露して一目置かれたいという熱に浮かされていた。

ファンの間で人気のある曲を知ってもらうことで、何やら僕の知的な自己顕示欲が満たされると思い込んでいた。

これはある種の使命感のようなもので、おそらく僕だけに限ったことではあるまい。

今思うと知的好奇心の限界がB’zで有ること笑えもするが、当時の僕からしたらB’zが全てであったのである。

それにこんな啓蒙思想はB’zからしたら余計なお世話であることは間違いのであるが、こうすればファンが広がると妙に素直に信じていたのである。

だいたい、下手くそがカラオケでマイナー曲を歌ってファンが増えるなら、そこかしこにB’zファンがいるはずである。


こうして僕はさほど仲の良い人のいない環境でカラオケの大部屋に通されたのである。


オクダーノフはここでも盛り上げ役として初っ端に歌い始めた。

やはりポジティブな自己顕示欲を見せつけ、続く歌い手も大げさな手振り身振りで、まるで自分が歌手であるかのように振舞い、大いに場が湧いたが、僕はその頃からしきりにウーロン茶を飲んでいた。

始まってすぐにウーロン茶が運ばれてきて以来、僕はそれ以外を触っていなかった。

ひどくひもじいアピールであった。

それでも、その甲斐あってか、大体の人が一曲ずつ歌った頃に横に座っていた女性が僕に憐憫の声をかけてくれたのである。

「あの、何か歌わないですか?」

「ぁ、ぁの、ぅたぃ…」

《こなぁぁぁぁぁぁゆきぃぃぃぃ!!!!ねぇぇぇ》


オクダーノフの馬鹿でかい熱唱にかき消される僕のグラデーションボイス。

これこそが粉雪ではあるまいか。ねぇ?

「すいません、ちょっと聞き取れなくて…」

「ぁ、ぃぇ…」

《あぁぁああああ!!ざらあぁぁつくアスファルトのうえぇぇぇ染みになってくよぉぉぉ!!!》


こうして会話が分断されたのである。

僕はまたウーロン茶に手を伸ばしたが、横の女性は何の反応もなく、むしろ曲に合わせて手を振っていた。

あちら側の人間であった。


そこで僕の気持ちはこうである。

誰も声をかけてくれないなら地蔵になってやれ!である。

じっと動かず、手拍子も口ずさんだりもせずにずっと不動である。

ウーロン茶も飲んでやるか!!

実際、歌いもせずに500mlのウーロン茶を3杯以上飲んでいたので、胃袋はウーロン茶で満たされていたのである。


しかし、諸君から見たら不動でなく不毛の境地に見えるかもしれない。

が、僕は内心はいつどのタイミングでマイクを手にするかをずっと考えていたのですよ!

やはり僕にしたところで最初の希望は捨てられずにいたのである。


(この状況ならどの曲がいいのだろう?激しい曲かしっとりした曲か?なんだったらソロの楽曲だって良いわけだ!)


などと甘い考えに浸っていたところ、ふとリモコンが僕の前に置かれたのである。

僕はおもむろに手を伸ばしリモコンを取った。


〈素直になって初めからそうすればいいんですよ!何も、誰もあなたに強制なんてしていないのですから!〉

諸君はまた笑っておられるだろうか?そもそも僕には地蔵の決意など最初からなかったのである。そう、ただ、すねていた!すねていただけなんです!それに僕にだってすねる権利と歌う権利があるんですよ!なぜって、お金を払うからですよ!


そして、僕は火がついたようにリモコンをタッチしながら【れいけつ】と打ち込んだ。

【稲葉浩志 冷血 原曲キー+3】

出だし

【君は君の思うように生きろ 僕は僕のしたいようにしたい 自由とは何かを知りたい人よ 自由とは僕だけに都合いいことでしょう】

とリモコンに表示された。

(ふふ、この曲でみんな驚くだろうか?構うもんか!場の空気がなんだって言うんです!そう、僕には、僕にだって歌う権利があるんです!

キーの高さがなんです!うまく歌えなくなってがむしゃらに歌ってやれば僕の勝ちですよ!!こんなことはもうどうとでもなれだ!)


僕はキャンセルボタンを押してリモコンをテーブルに戻した。


権利はあれど勇気がなかったのである。

ただ、笑われたくなかったのである。

しかし、無様な姿を披露するのが自己顕示欲ではあるまい?

その辺りは諸君もご理解いただけるだろう。

僕は今でも冷血を歌わなかったことを神に感謝している。

仮にもし歌っていたとしたら、時折思い出して顔が熱くなること請け合いである。


(しかし、1曲も歌わない僕が5曲も歌っているオクダーノフと同じお金を払うのだろうか?いやいや待て待て、そもそも無理に誘ったのはオクダーノフなのだから、僕がせめて払うのはウーロン茶4杯分だけだ!構うもんか、この歌の途中で出てて行ってやる!いや、いいさ、金だってきっかり2時間分をテーブルに置いて行ってやる!!)


もちろん、僕は出ていかなった。


むしろ僕の好きな曲を歌う人が現れた時なんかはタンバリンを手に取ってみたりもした。

しかし、急にタンバリンを鳴らすと変な注目を浴びるのを恐れ、タンバリンの各パーツを丁寧に撫でテーブルに戻した。


そうして結局2時間が経った。

僕は一度もマイクに触れることなくカラオケは終了した。

ただただ、本当にウーロン茶を飲み耽っていただけの男であった。

それでも僕はやはりこの結果を知っていたし、希望はいつだって現実ではありはしないのである。

と強がる僕を客観的にみる僕を知っている僕がこうして記述をしていることをわざとらしいと感じる僕がいて…結局、こんなことはキリがない言葉の遊びでしかないのですよ!

諸君から見たら僕は俗に言う痛い人かもしれないですね!

そんなことは僕だって承知しているんですよ。


最後にオクダーノフが屈託のない笑顔で僕に話しかけてきた。

「楽しかったですね!あなたも存分に?」

「えぇ…まあ…(僕の地蔵に気づいていない?)」

「あ、お会計1人¥1,480みたいですよ」

僕はオクダーノフにきっちり金を支払い、彼くらい気楽であればどれほど人生が軽やかであろうか。

などと思いながら1人家路へついた。


そして、耳に残るはオクダーノフの大熱唱であった。

ねぇ、粉雪。


―――――――――――――


おわり

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