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  • 2016/05/15 18:30

    僕は安部公房のことを尊敬していると常々公言しております。

    しかし、改めて文字にしたことがないので、何か書いてみようと思うわけです。


    edalab.以前から継続的に行っている『花面』という作品があります。

    花のマスク/仮面を被るという単純なものですが、

    そのマスクというもの考える時に安部公房の『他人の顔』と『箱男』を参考にしました。

    と言うよりも、着想の根幹にそれらがあったようにも思われます。


    『他人の顔』は顔の皮膚を爆発事故で失くした男がシリコン製の顔を作り、社会性の回復を試みるという内容で、

    『箱男』は一言でまとめること難しいのですが、段ボールの覗き穴から社会との関係を構築していく側面を持つ物語です。

    この2作に共通するのは仮面的な意味合いです。


    今回、22歳の頃に考えていた仮面のことをまとめてみました。

    AとBの対話形式です。

    このやり取りに多く安部公房の影響があります。


    ―――――――――――――――――


    花面を被るABがある街の片隅でABが邂逅した。


    A「ま、まさか……

    B

    A「あなたは一体

    B」 

    A「誰なんですか、あなたは

    B「むしろあなたがご自身のことを理解しているなら難しいことではないと思うのですが」

    A「いえ、僕はその少し混乱しています

    B「そのように見受けられます。

       どうやら私とあなたの違いは座標軸の設定の差なのかもしれません。

       目線を変えるだけでできるものなんですよ、越境なんてものは。

       それに私だけじゃない思いがけず存在しているものですよ、私たちのような者は」

    A「越境それに他にもいるだなんて

    B「そう、あなたはまだ【世界ーマスクー自我】という境界線を越えられずにいるんですよ。

       つまり、あなた自身がマスクから世界を覗いている状態な訳ですよ。

       でもね、座標を変えてごらんなさい。そうしたら、自分がマスクから世界を覗くのではなく、マスクそのものが世界を覗いて、本来の自分はマスクの内側に落ち窪んでいくのがわかりますよ」

    A「マスクをかぶって以来、ずっと自意識が

    B「だから却ってそのマスクを脱げない違いますか。

       誰も元のあなたをどうやったって認識などできないはずなのに、このマスクの内側で実の姿が怯えている、と」

    A「このマスクの中でただ僕の自我が浮き彫りになってしまい、他者から見透かされているような気がして、暗闇の中で顔が熱くなるを感じているのです

    B「魂は顔の皮膚に宿る、なんて話聞いたことありませんか。

       だからこそ羞恥で魂が熱を帯びて顔が熱くなるのでしょう」

    A「顔の皮膚に魂がでもたしか、戦争で負傷した兵士は運動機能に直接影響するような四肢損傷や欠損よりも、顔のみに大きな怪我をした兵士の方がトラウマを抱える傾向にあると聞いたことがあります

    B「そう、つまり魂というものを自我と言い換えるならそれは顔の皮膚にあるのでしょう。

       顔の怪我は自我の著しい損傷に他ならない。

       他者が自分を定義するの思想や仕草、声じゃなくて顔ですからね。

       それに誰だって自分自身が一番、その顔に依存していると思いませんか。

       逆に顔の整形手術、あれなんてむしろ魂の手術なんじゃないですか。

       術後は人格が変わると言いますからね

       皮を剥いてしまえば人間なんて大差がないというのに」

    A

    B「それに犯罪を企てる人あれってやはりみんな目出し帽を被るでしょ。

       あれは顔が知られたくないという理由よりも、案外、別のところ理由があるんじゃないですか。

       つまり、正体が露見するかと変な用心に気をもむより、犯罪者というイメージを憑依させてしまえばいい。

       その方がいっそ大胆な行動だって起こせるというものですよ。」

    A「本気でそんなことをおっしゃっているのですか

    B「つまり、その覆面を被るということは自分の顔をなくすということですよ。

       それに部族的な祭りでは神と交信する者が仮面や装飾品を身につけ踊る…そのことで異形のモノになり人間性を超越し神と交信していた訳だ。

       中世ヨーロッパの仮面舞踏会も身分の差を隠し、その場を楽しむ。

       マスクには本来、【覆い隠す】という意味もあるんですよ。

       自分を隠すことは、意図的に自分をなくしてしまうことでしょう。

       つまり空っぽの入れ物として自分があると思えばいい…あとはそこに投影、憑依させればいいんですよ」

    A「空っぽ……

    B「桶が空なら水も汲めるということですよ」

    A「僕は一体どうしたら…このマスクの内側に満ちている僕の自意識はどこへ行けばいいんです!

    B「それぞれあるでしょう、その投影体というやつが。

       無論、私には分かりかねますよ、そんなとこまでは。

       あなたの行き先はあなたが決めることなんですよ。

       人生はいつだって片道切符なのだから」

    Aそんな

    B「それでも片道切符だって、途中下車くらいは許されているんですよ。

       それにそこが存外、終着点なのかも知れません。

       失礼、そろそろ待ち合わせの時間なんですよ」

    A「急にそんな誰が来るんです?」

    B「そうべったりくっつかれたんじゃ来る人も来やしませんよ。

       それにあなたには関係のないことですよ」

    A

    B「行き場があるうちは歩けばいいじゃないですか。

       あなたにはあなたの投影体があるんですよ。

       もはやあなたがあなたであることに何の意味があるのです

       さあ、どうやら待ち人が来たようです。

       それではこれで失礼しますよ」


    Bはその場から離れ、Cの元へ

    Aは動かず、Bを目で追う


    B

    C5…5万でもらうよ」

    切羽詰まって沸騰したヤカンのようなCの声が風に流れてAのもとへ届いた。


    Bが現金を受け取り、マスクを脱いでCに譲渡した。

    Bは遠くで響く雑踏ヘ向け足早に立ち去り、

    Cは辺りを見渡した後でそのマスクを被り、Bとなった。

    そして、風景の消失点に溶けていった。


    Aはその一部始終に虚をつかれた。

    しかし、マスクの中のAはもはや虚ろであった。